「私は客観的に見ている」
「それが事実だ」
「冷静に判断しているつもりだ」

あなたはそんなふうに、自分の見ている世界を「正しい」と信じていないだろうか。
だが、厳しいようだが、それは錯覚である可能性が高い。

私たちは世界をあるがままに見ているのではない。
「自分という存在の条件づけを通して」世界を見ているのである。
そしてそのことに気づかない限り、他者とのズレ、無用な対立、誤解、決めつけがいつまでも続いてしまう。

今回は、「見方」そのものを見つめ直すことが、人生の質をどう変えるかをテーマに掘り下げていきたい。

第1章 人は誰でも“主観のレンズ”を持っている

私たちは、生まれた瞬間から「見る」「聞く」「感じる」体験を積み重ねていく。
そのなかで、自分なりの“意味づけ”や“判断の軸”がつくられていく。

  • 親の価値観

  • 教師の言葉

  • 友人関係での体験

  • 成功と失敗の記憶

これらが、無意識のうちに“レンズ”として目の前に立ちはだかり、世界をそのフィルター越しに見せているのだ。

たとえば――
部下の行動が「なまけている」と見えるのは、あなたが「報告は素早く・きっちり」が正しいと思い込んでいるからかもしれない。

あるいは、相手の返事が冷たく感じたのは、過去に似た態度を取られて傷ついた経験が反応しているだけかもしれない。

見えているものが「現実」なのではない。
見方が「現実」にしてしまっているのだ。


第2章 世界を変えるには、“見方”を変えること

誰かと意見が対立したとき、「相手が間違っている」と決めつけた瞬間、私たちは成長を止める。
その代わりに、「なぜ相手はそう見ているのか」を問えるかどうかが鍵となる。

たとえば、営業部門と製造部門が衝突するのはよくある話だ。
営業は「もっと納期を早くして」と求め、製造は「それでは品質が守れない」と主張する。

このとき、どちらも正しい。
ただ、見ている角度が違うだけなのだ。

営業は「顧客満足」というフィルターで世界を見ており、製造は「品質維持」というフィルターで世界を見ている。

お互いが「自分の正しさ」に固執している限り、交わらない。
しかし、「相手には相手のフィルターがある」と理解したとき、
初めて歩み寄りの土台が生まれる。


第3章 “パラダイム転換”は、静かな革命である

「見方を変える」と言うと、自分を曲げたり、迎合したりするように感じる人もいるだろう。
だが、それは誤解である。

見方を変えるとは、より高い視点に立つことだ。

  • 怒りの感情に巻き込まれる前に「なぜ自分は怒っているのか」を観察する

  • 相手の言葉の裏にある「意図」や「価値観」を想像する

  • 「事実」と「解釈」を分けて見る習慣を持つ

こうした意識を少しずつ持つだけで、あなたの思考は深くなり、関係性の質が劇的に変わっていく。

これはまさに、静かな革命だ。


第4章 私自身の“レンズが外れた”瞬間

私は以前、ある後輩を「やる気がない」「向上心が足りない」と決めつけていた。

どれだけアドバイスしても動かず、「自分だったらこうするのに」と苛立ちばかりが募った。

だが、ある日その後輩がポツリとこぼした言葉があった。

「僕、ずっと前の職場で失敗して怒鳴られてばかりで…
指示を待つ方が安全だと思ってたんです」

その瞬間、私のレンズが変わった。
「やる気がない人」ではなく、「怖くて動けない人」として彼が見えた。

そこから私の関わり方は変わった。
少しずつ信頼関係ができ、今では彼がチームで最も成長したメンバーになっている。

相手が変わったのではない。
私の“見方”が変わったことで、関係が変わったのだ。


第5章 見方を変えるために、今日からできる3つの習慣

1.「私は何を前提に見ているか?」を問いかける

たとえば、「○○すべき」という思い込みはどこから来たのかを振り返ってみる。

2.相手の背景を想像してみる

なぜそういう態度や言葉になるのか。体験、価値観、立場に目を向けてみる。

3.事実と解釈を分けて書き出す習慣を持つ

「相手が遅刻した(事実)」と「やる気がない(解釈)」を区別する練習。

このように、日常の中に「見方の点検」を取り入れるだけで、あなたの視野は広がり、感情の波にも飲まれにくくなっていく。


おわりに

私たちは、世界をあるがままに見ていると思い込んでいる。
だが、実際は「自分という存在を通して」世界を見ているのだ。

この事実を受け入れること。
それが、他者との対話の扉を開き、人生の選択肢を広げる最初の一歩である。

そして、「見え方が変われば、生き方が変わる」

どうか今日という日が、あなたにとって“新しい見方”と出会うきっかけになりますように。