「こうべを垂れるならば、深く垂れよ」という東洋の格言がある。
そこには単なる謙虚さを超えた、“誠意”という姿勢がにじんでいる。
キリスト教にも「最後の一文まで払え」という教えがある。
それは、失ったものを取り戻すには、言葉ではなく行動と覚悟が必要だという意味でもある。
そしてレオ・ロスキンは語る。
「弱き人こそ薄情である。優しさは強き人にしか望めない」
――本当にやさしい人は、自らの弱さに正面から向き合う強さを持っている。
今回は「謝ること」について掘り下げる。
うまく謝れない人が増えている。
謝ると負けだと思っている。
だが、謝るという行為は、信頼を築くための“預け入れ”なのだ。
第1章 本気で謝れていますか?
「すみません」は、魔法の言葉ではない。
ただ言えば済むと思っている人は、相手の信頼口座を減らしている。
実際、こんな相談をよく受ける。
「部下に謝っているのに、関係がぎこちないままです」
話を聞くと、謝罪の中に「でも」や「本当はこうだった」が混ざっていることが多い。
これは謝罪ではない。
「言い訳+軽いお詫び」は、謝っているフリをしているだけだ。
謝罪には3つのポイントがある。
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自分の非を明確に認める
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相手の立場を理解して言葉にする
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行動の改善を具体的に伝える
これがないと、どれだけ丁寧に頭を下げても、相手の心には届かない。
第2章 信頼は「預け入れ」でしか回復しない
信頼は貯金のようなもの。
日々のやり取りの中で、預けたり、引き出したりしている。
叱った時、嘘をついた時、感情的になった時は「引き出し」になる。
一方、聞く姿勢を持ち、約束を守り、感謝を伝えることは「預け入れ」になる。
私のあるクライアントは、プロジェクト失敗の責任をチームに押し付けてしまった。
その後、謝ったものの関係が冷えきったままだった。
そこで彼は、具体的な行動を通じて「預け入れ」を始めた。
・朝のミーティングで一人ひとりに声をかける
・進捗を気にかけるだけでなく、成功を言葉にして伝える
・ミスをフォローし、全体の責任を背負う姿勢を見せる
3カ月後、彼の周りには自発的に動くメンバーが集まっていた。
信頼は「行動」によってしか、戻らない。
第3章 謝れる人は、チームを強くする
上司が謝ることは、組織にとって大きなインパクトをもたらす。
ある企業の部長クラスの方が、若手の提案を「それは現場を知らない発想だ」と一蹴してしまった。
提案した社員は数日後から発言しなくなり、チームの雰囲気も沈んだ。
その後、部長は自ら若手の元を訪ね、「あの時の言葉は間違っていた。
君の視点が足りなかったのは自分の育成不足だった」と伝えた。
その謝罪により、若手は提案を再び出すようになり、次第に部内全体が意見を交わすようになった。
謝ることで自分の弱さを見せることは、決してリーダーシップを失うことではない。
むしろ、自分の非を認められる器の大きさが、周囲に安心と信頼を生む。
第4章 優しさは、強さの証
「優しい人=弱い人」と誤解されることがあるが、それは逆だ。
優しさとは、自分の感情やプライドを超えて、相手に向き合う強さである。
実際、1000人以上のリーダーを見てきた中で、人が自然とついてくるリーダーには共通点がある。
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感情に流されず、冷静である
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相手の目線で物事を考える
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自分が間違っていたとき、素直に認める
つまり、「優しさのある強さ」が、長期的に人を動かす力になるのだ。
第5章 謝罪のその先にある「深いつながり」
一度失った信頼を取り戻すのは容易ではない。
しかし、誠実に向き合い、謝り、行動を変えたとき、以前よりも深い絆が生まれることがある。
私自身、かつて軽率な判断でプロジェクトに失敗したことがある。
関係者に迷惑をかけ、深く謝罪し、そこから1年かけて行動で信頼を積み直した。
その過程で得たものは、単なる「許し」ではなく、真の「理解」だった。
信頼とは、言葉ではなく行動がつくるもの。
そして謝罪とは、その第一歩にすぎない。
まとめ:謝ることは、弱さではない。誠実さの証である。
人は、誰もが過ちを犯す。
しかし、それを認め、謝り、変わろうとする姿勢こそが、人を信頼へと導く。
「こうべを垂れるならば、深く垂れよ」
――それは、相手への敬意と、自分への誠実さを持つ者にしかできない所作だ。
真に強い人だけが、謝ることができる。
そしてその強さは、必ず人の心に届く。
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