国連事務総長だったダグ・ハマーショルドは、とても意味深い言葉を残している。
「大勢の人を救おうと一生懸命に働くよりも、一人の人のために自分のすべてを捧げるほうが尊い」
この言葉を初めて目にしたとき、私は「逆説的だな」と感じた。
しかし、長年ビジネスの世界や教育現場、家庭生活の中で人と関わり続けてきた今、この言葉の重みを深く理解できるようになった。
「多くの人の役に立ちたい」という思いが強すぎて、自分を見失う人がいる。
誰にでも良い顔をし、何でも引き受け、結果的に「自分がわからなくなる」という悩みに陥るのだ。
この記事では、そんな迷いを持つ人にこそ伝えたい、「自分の軸を持つことの意味」と「一人に尽くす尊さ」について綴っていきたい。
自分の人生に主語を持てているか
「すべての人にいい顔をするな。結局、誰の心にも届かなくなる」
この言葉を20代後半にある経営者から言われたとき、私は目の前が開けたような気がした。
当時の私は、職場でも家庭でも「人のために動く」ことに命をかけていた。だが、いつの間にか自分の時間も思考も感情も、人の期待に応えるために使っていた。
そうして「私は誰かの人生を生きている」ような違和感が蓄積していた。
自分の人生の主語が「他人」になってしまうと、どれだけ頑張っても心が満たされない。
「わたしは、どうしたいのか」。この問いをもてるようになるには、自分の内面と向き合う時間が必要だ。
外ではなく、内側に軸をつくること。私がこの問いをもてるようになったのは、ある「一人の部下」と出会った経験からだった。
一人の部下との関係が、私を変えた
管理職に就いたばかりの頃、ある若手社員の存在が、私の価値観を大きく変えた。
彼は不器用で、業務効率も決して良いとはいえなかった。
しかし、誰よりも誠実で、人一倍努力していた。
だが評価されず、居場所を失いかけていた。
私は彼と1対1でじっくり向き合い、強みを見出し、任せる業務を調整し、毎週対話を重ねた。
そのうち、彼の目の輝きが戻り、チームの柱となる存在へと変わっていった。
彼の変化を間近で見たとき、「多くの人に広く浅く関わるよりも、一人の人に深く向き合う方が、ずっと意味がある」と気づいた。
そして、その過程で最も変わったのは、部下ではなく、私自身だった。
量より質。広さより深さ
SNS時代のいま、私たちは「影響力」や「フォロワー数」に無意識に引っ張られる。
「たくさんの人に届く言葉を」と考えるうちに、誰の心にも深くは届かない表面的な言葉になってしまう。
だが、本当に力のある言葉とは、「この人のために」と思って書かれた言葉だ。
それは結果的に、広く届く。なぜなら、そこに「誠実さ」と「リアル」があるからだ。
実際、私のブログ記事で最も反響があったのは、ある一人のクライアントとの対話を丁寧に綴った回だった。
特別な言葉やテクニックはない。
ただ、相手に本気で向き合った記録だった。それが多くの読者の心に響いた。
目の前の一人に尽くすことで、自分を取り戻す
「自分を変えたい」「やりがいがほしい」「役に立ちたい」
こうした悩みを持つ人に、私はまず「目の前の一人」に意識を向けることをすすめている。
同僚でも、家族でも、パートナーでもよい。
目の前の誰かに、ただ「ちゃんと関わる」。
それだけで、自分自身が満たされていく感覚が芽生える。
不思議なことだが、自分の心が整い、自然と自分のやりたいことや使命も見えてくる。
「人を救おうとする前に、自分を取り戻すこと」
──それが結果として、人のためになる。
一人の人に本気で向き合える人は、どこに行っても通用する
結局のところ、人生も仕事も、人との関係がすべてだ。
目の前の一人と丁寧に向き合える人は、どんなチームでも組織でも信頼される。
逆に、他人を変えようとする前に、自分が変わることから始めなければ、何も動かない。
私がこれまでに1,000人以上の育成・指導に関わってきて、確信していることがある。
「本気で向き合う力」は後天的に育てられる。
そして、それは人生を根底から変える力を持っている。
おわりに──自分の軸を育てるために
「すべての人の期待には応えられない。でも、目の前の一人には誠実でいよう」
この覚悟を持てたとき、人間関係は一変する。
そして、自分の人生を自分で生きているという実感が、じわじわとわいてくる。
大勢に向けた発信もいい。
だが、本当の意味で人を動かすのは、「誰かのために自分を捧げた」体験であり、そのリアルな物語だ。
目の前の一人のために、今日も丁寧に生きる。
その積み重ねこそが、自分の軸を育て、世界に影響を与える第一歩なのだ。
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