「あの人が苦手」
「どうしてあんな言い方をするのか」
「またイライラさせられた」
人間関係において、こうした感情が湧くのは自然なことだ。
しかし、気づかないうちに、他人の弱点を“問題そのもの”として捉えてしまってはいないだろうか?
実は、本当の問題はそこではない。
他人の欠点や未熟さにどう向き合うか――つまり自分がどう反応するかを選ぶ視点が、すべてを左右する。
今回は、他者を“どう見るか”によって、人間関係がどのように変わるのかを紐解いていきたい。
1章 私たちは、つい「外側」に問題を探してしまう
職場、家庭、友人関係――。
「うまくいかない」「気が合わない」と感じるとき、多くの人が最初に考えるのは、「相手のここが悪い」「あの人が変わるべき」ということだ。
たとえば、時間にルーズな同僚に対して、
「なんでいつも遅れるんだ」と怒りが湧く。
一方で、「自分はちゃんとしているのに」と自己正当化が始まる。
しかし、本当の問題は、その人の欠点そのものではない。
問題は、それを見たときの自分の反応と、それに基づく行動の選び方なのだ。
2章 「批判の目」から「慈しみの目」へ
人の弱さを見つけることは、簡単である。
完璧な人などいない。
だからこそ、見方次第で、誰に対しても「ここが足りない」「もっとこうすればいいのに」と思えてしまう。
だが、その視点は、自分を優位に立たせるための“比較”や“防衛”になりやすい。
結果として、関係性に壁ができてしまう。
そこで必要なのが、“慈しみ深い目”で人を見る姿勢である。
「この人も、何かを抱えながら一生懸命やっている」
「不器用だけど、悪気があるわけではない」
そうした視点で他者を見ることで、自然と反応も変わっていく。
怒るのではなく、支える。
見下すのではなく、寄り添う。
見方が変わると、関係の空気が変わる。
関係が変わると、結果として相手の態度も変わってくることがある。
3章 「問題は外にある」と考えること自体が、問題である
「相手が問題だ」と思った瞬間、私たちは自分の責任と力を放棄している。
つまり、自分には何もできないという前提に立ってしまうのだ。
しかし、どんなに相手が未熟でも、自分には選択の余地がある。
・その言葉にどう返すか
・どんな表情で受け取るか
・その場の空気をどう変えるか
これらは、すべて自分の選択に委ねられている。
“外に問題がある”と思った瞬間、その思考こそが問題である。
なぜなら、それは自分の影響力を放棄している証だからだ。
4章 反応を変えることで、自分の在り方が変わる
かつて、私がサポートしていたあるリーダーは、
「部下の能力が低くて、仕事を任せられない」と悩んでいた。
彼にとっての“問題”は部下だった。
しかし、対話を重ねる中で、
「自分が“信じる”ことをしてこなかった」
「支える姿勢ではなく、見張るような態度だった」
ということに気づいた。
その日から彼は、任せることを前提にした関わり方に変えた。
すると数か月後、部下の自主性が高まり、チームの雰囲気も改善。
「相手ではなく、自分が変わったことで、世界が変わった」と語っていた。
自分の反応を変えることは、自分の人格を高める選択であり、
その積み重ねが人間関係の質を変えていく。
5章 感情に流されるのではなく、選択する
私たちは、ときに他者の言動に心を乱される。
しかし、その感情に流されるかどうかは、別の話である。
「怒らせるようなことを言われた」
ではなく、
「私はその言葉に対して、怒ることを選んだ」
この視点を持つだけで、感情の扱い方が変わる。
反射ではなく、選択する。
選択できるということは、自由であるということ。
そして、その自由こそが、人間の成熟した反応の証である。
おわりに
人間関係の中で起きる摩擦や不快感。
その原因を、私たちはつい他人の中に探してしまう。
けれど、他人の弱点は、あなたの問題ではない。
あなたがどう見るか、どう関わるか。
それが、あなたの成長と人間関係の質を決めている。
「問題は外にある」と思った瞬間に、
「それは本当か?」と、自分に問い直してみてほしい。
その一歩が、あなた自身の人生の選択を、もっと自由に、もっとあたたかくしてくれるはずである。
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