自分の力を信じられなかったとき。
何をやってもうまくいかないと感じていたとき。
そんな時期は、誰の人生にも一度はあるものです。

でも、そんな“自信の底”のような時期に、あなたを信じてくれた誰かがいたのではないでしょうか。

その人の言葉、その人の態度、それがきっかけで、「また、やってみよう」と思えた経験。

今回は、信じてくれた存在が与えてくれた“人生の脚本”について、深く考えてみたいと思います。

第1章 自信が失われる瞬間に、人は何を失うのか

自信をなくすとき、私たちは単に「結果」だけでなく、「自分の可能性そのもの」まで疑ってしまいます。

  • 「自分には無理かもしれない」

  • 「もう何をやってもダメだ」

  • 「どうせ自分なんて…」

このような思考が繰り返されるうちに、まるで自分の人生が“ダメな脚本”で書かれているような気分になってしまうのです。

その脚本には、失敗と自己否定が繰り返され、未来への期待も描かれていません。

でも、そんなとき――
「あなたなら、きっとできる」と信じてくれた誰かの言葉が、私たちに新しいページをめくる勇気をくれるのです。


第2章 “良い脚本”は、人から与えられることがある

誰かがあなたを信じてくれた。
それは、あなたが自分を信じられなかった時期に、“仮の信頼”を貸してくれたようなものです。

たとえば――
教師の「君には力があるよ」という一言。
友人の「また一緒にやろうよ」という誘い。
上司の「任せたい」というまなざし。

それらはすべて、「あなたの人生はまだ終わっていない」「可能性がある」という脚本の提示です。

自分では書き直せなかった物語に、誰かが新しい展開を差し込んでくれた。それこそが、“信じる”という行為の偉大さなのです。


第3章 信じられることで、人は自分を再評価し始める

信じてくれた人がいると、人は不思議と、自分を見る目を変えていきます。

  • 「もしかしたら、まだやれるかもしれない」

  • 「あの人をがっかりさせたくない」

  • 「あの期待に応えたい」

そんな気持ちが、止まっていた足を少しずつ前に運びます。

そして、その小さな行動の積み重ねが、やがて「自分で書いた、新しい人生の脚本」になっていくのです。

最初は誰かがくれた脚本でも、いつしかそれは、自分の意志で動く物語になる。

この転換こそ、人生における“再出発”の本質です。


第4章 私自身の経験──若手時代の恩人の言葉

私にも、忘れられない言葉があります。

それは、20代の頃。
作業で大失敗し、技術者としての自信を完全に失っていたとき。
上司が言った、たった一言。

「おまえは“まだ”本気を出してないだけだ。信じてるぞ」

その言葉を聞いたとき、私の心は震えました。
心のどこかで「自分はもうダメだ」と思い込んでいた私に、“これからの可能性を含んだ脚本”を渡してくれたのです。

そこから、私は少しずつ行動を変え、やがて自分の道を見つけ直しました。


第5章 誰かの“脚本の書き手”になるということ

今、あなたは誰かにとって、“新しい脚本のきっかけ”になれる存在かもしれません。

  • 家族や部下が落ち込んでいるとき

  • 友人が何かに悩んでいるとき

  • 子どもが自信をなくしているとき

その人の前で、「私はあなたを信じている」と伝えるだけで、その人の人生に、新しいページが開かれるかもしれません。

私たちはみな、誰かに支えられて今があり、そして誰かを支えることができる立場にもあるのです。


おわりに

あなたを信じてくれた人の顔を、思い出してください。
その人の言葉が、まなざしが、どれだけあなたを動かしてくれたかを思い出してください。

そして今度は、あなたが誰かに「良い脚本」を渡す番かもしれません。

人生の脚本は、一人で書くものではありません。
人と人の信頼の中で、少しずつ書き換えられていくものです。

だから、どうか忘れないでください。

「信じてくれた人の存在が、自分を変える力になる」
そしてあなたもまた、誰かの物語を変える力を持っているのです。